次第に、人間としてありえない方向に曲がったりもしながら演奏する持田先輩の指。ふわふわと不気味に浮かぶ、白い肌をしたフランス人形のような女の子を気にしながらも私はどうにか先輩をピアノから離そうと引っ張ろうと腕を伸ばす。だけど腕は一歩手前という所ででビリッという強い静電気に邪魔される。気にせず腕を伸ばそうとすると指先に痛みを感じた。
!助けてくれ!!」
「お願いだから先輩、少し落ち着いて!」
 自身の身体の異常な現状に、錯乱状態に陥ってしまっている。ありえない程遠い場所まで指を持っていこうとするので、指の間が軽く切れている。
 とにかく私はどうにかしてでも、持田先輩を引きずり出さなくてはいけない。手、ではダメだ。引きずり出す前に私の腕が落ちてしまうかもしれない。なにか他に案はないのか。案は…。

 ふ、と視線が譜面台に移る。
(そうだ!)譜面台を先輩に伸ばしてみたらどうだろうか。かなり手荒かもしれないけれど、譜面台で先輩を飛ばせないだろうか。私だって、曲がりなりにも剣道部だ。腕の力にはちょっとだけ自信がある。
 これなら、いけるかもしれない。
!!」
 騒ぎ立てる先輩を横目に、譜面台を一台、先輩に向けた。すると腕とは違い、するりと何事もなく先輩に近づいた。
 良かったと、思わず笑みが零れたときだった。譜面台が嫌な音を立てた。ベキベキと、まるで木が燃えるときのような音を鳴らしながら、台は垂直に曲がった。曲がったところを見ると赤くなっていて、かなり高温のように見える。それを見て慌てて台を投げ捨てた。
(どうしよう、他に他に他に…!!)
 他に無いかと必死になって考えていると、少女が私の目の前にふわりと現れた。なにかするのかと、思いっきり離れてしまったけれど、その子は不気味にニコニコと笑っているだけだ。その様子に逆に鳥肌が立つ。
 笑顔のまま、私に近づいてきたので私は思わず後ろに転んだ。打った頭を抑えながらその子を見あげるとまだ彼女は笑っている。

「いだっ…!!!」
 少女に呆気を取られていたので思いっきり持田先輩のことを忘れていた。視線を少女からピアノ、先輩に向けた。
 鍵盤が異様に赤い。白いはずのキーがに染まっていた。そしてその染めている原因は先輩の指にあった。いつの間にか超高速になっているスピードからか、それとも無理に指を伸ばしているせいか。いや、そんなのありえない。ピアノを弾いて大量出血なんて聞いたことがない。
 出来る限りのところまで近づいて様子を見てみても、鍵盤は赤い。それに指から血が出ている。不思議と、鍵盤のキーを叩いているのに、鋭いナイフを叩いているようにも見えた。
 とにかく手当たり次第に先輩の方へ物を投げてみたが、今度は跳ね返ってきてしまう。どうする事も出来ない自分に苛立ってタンバリンを床に叩き付けた。ガシャンとピアノに負けないくらい大きな音を立てた、時だ、

 ひんやりとした嫌な感触が私の首に触れた。鳥肌が立ったときには、がくりと膝をついた。身体中の力が抜けるような気がした。
 中々立つことの出来ない身体と、どうしようもないダルさにとりあえず辺りを見回していると女の子に目がいった。
 先ほど見たのより遥かに目がつりあがっており、白い肌は蒼白のようにも見えた。
えんそうの、邪魔
 ぞくりとまた一層鳥肌が立った。
 だけど女の子をよく見ると手元をしきりに動かしている。よく目を凝らすとキラリとなにかが光った。か細い、糸だ。その糸を、よく凝らしながら辿っていると先輩に向かっている。
 なにか良い案のようなものが頭に浮かんだ。もしかしたらいけるかもしれない、もしかしたら。猫の目のようになっている女の子に注意しながら、さり気なくすぐ横の床に置いてあるタンバリンを取ると、彼女の指を目掛けて投げた。
「ぅ…わっ!」
 突然先輩から力が抜けたような声が聞こえる。振り返ると先輩の指は鍵盤から離れているし、それに演奏は止まっている。よかった、と安息をもらそうとすると急に指が動いた。
 痙攣しているのだろうか。様子を見ようと手を上げようとしたのに中々上がらない。うろたえていると今度はグッと首根っこを掴まれた。後ろを見ようにも首が曲がらない。そのままゆっくりと立ち上がると、今度は足が動いた。
……?」
 一生懸命呼吸を整えている先輩をうまく見ることも出来ずに、私の足はピアノへ向かった。


アいしい

お人

たあ



 にこにこと手元の糸を握っている女の子。なるほど、先ほどの糸で、マリオネットのように動かしていたのか。と冷静に判断した。


「あの…たち、いくらなんでも遅くありませんか?」
 暗く、静まった廊下。今まで一言も言葉を交わさなかったのだが、ついに耐え切れず山本が口を開いた。今ここに居るのは、山本の他に内藤や笹川だが、笹川を見ながら言ったのでいつもの言葉遣いではなく、少し敬語が混ざった。
「確かに俺もそう思うが…だがドアは開いているしそれに明るいだろう」
「…だいじょーぶだと良いねー!」
 暗くなった雰囲気を、内藤が明るく盛り上げようとした。が、どうしても心配になってしまうがために空気は元に戻った。「それにしても、」山本が話を切り替えた。
「なんなんでしょうね、今日は」
「うむ…。運がなかったというしかないのか…」
「でも出口はありますよね!こういうので無いというのはありえませんよ」
「そーそー!こういうのは諦めたら終わりなんだしね」
 ふと、内藤が何気なく言った事に山本と笹川は反応した。「諦めたら終わり」それはよく自身が行っていたスポーツの大会や、日々の練習でよく言われることだった。諦めてしまっては全てが、どうでもよくなってきてしまう。諦めは「逃げ」だ。そんなのどこに言ったって言われる当たり前なことなのに、なぜかここでは重く受け止めてしまった。

 諦めイコール死のように思えるからだろうか。

 現段階ではまだ誰一人重症を負っていないために、これは本当に現実なのかと疑うときはある。誰一人倒れていないから。(…オレ、最低だ)誰か一人、誰か一人倒れてしまえば、重症を負ってしまえば自分の立場が分かると考えてしまった。もちろんそんな事ここにいるメンバーに相談というのはできない。
(ありえない、最低だ)軽蔑されるに決まっている。こんな緊急事態になにを言っているのだと、仲間じゃないのかと。中2の時、友人を一番に考えて行動したときがあった。だけどそれはもう嘘なのだろうか。目の前の、今すぐになんでも出来るようなところにアイツがいたから、助けたのではないだろうか。ああそうだ、車での交通事故で、一番死にやすいのは意外にも助手席なのだ。それは、運転手が目の前の障害を避けようと、自分を中心にハンドルを動かすからだ。どんなに大切な人が乗っていたって、自分中心にハンドルをきる。もし自分が運転席に乗っていたってきっとそうする。それが反射、それが人間。

 もし隣にがいたら、俺はどうハンドルをきるのだろう?

 そう考えても、いつまで経ったって答えが出ない自分にイライラしながら音楽室の扉を睨み付けた。
(いや、答えが出ないわけではない、オレは、ただ、)

(ゲンザイ3メイ ユクエフメイシャ11メイ)